高いステータスを持つ碑文谷の様々な歴史
さくら通りやサレジオ通りなどの緑豊かな並木道は、住み心地のいいまちとしてのステータスを高めている。碑文谷のDNAから、碑文谷ブランドがいかに形成されてきたかを紐解いてみます。20世紀ヨーロッパで理想的な住宅地モデルとして普及した¨田園都市¨を、大正時代の実業家・渋沢栄一が日本で初めて実現したのが碑文谷を擁する「洗足田園都市」
。都心へのアクセス1時間以内、緑が多く地質が良好であること、数々の厳しい条件をクリアして候補にあがり、やがて高級住宅街として人気を誇る布石となりました。立会川緑道はれたやさくら通りとサレジオ通りには、桜の季節から9月ころまで緑いっぱいの並木道が広がります。
碑文谷に並ぶセンスのいいお店
夫妻の笑顔こぼれる人気スイーツ店のSweetsさつきは、初代が切り盛りしていた仕出し屋「さつき」の精神を受継ぎ、地元碑文谷でスイーツ店としてお店を始めて約5年。まちに根付いたお店作りを心掛けている。米粉100%にこだわったスイーツはアレルギーを心配しなくていいと、地元のママさんからも配慮が喜ばれる。急なお客様の訪問でも、こちらをCheckしていれば安心。陽だまりのテラス席でペットと過ごせる碑文谷テラスは、碑文谷のまち並みや並木道をガラス張りの店内からのぞめ、優雅な時間を演出してくれるダイニング。テラス席は、ペット同伴で楽しむこともできる。晴れた週末の朝、お散歩中に立ち寄ってとる朝食は特別な存在です。
高台の美しい景観と、強固な地盤が支えるまち
4つの大使館や信託銀行中枢を抱える下目黒。重要機関がこぞって集まる理由の一つには、昔から地盤が固く安全な土地として知られていることがあげられる。閑静な住宅街が広がる下目黒のまちは第一種低層住居専用地域であり、都市計画法により厳しい規則が定められ、低層住宅のために良好な環境が守られている。閑静な高台にまちが作られているため、都心ながら広い空を見られることもステータスとなり、周辺は著名人が数多く住む高級住宅地となっている。都心化へとつながった競馬場である目黒競馬場もまた、第1回日本ダービーが開催された場所として目黒区を盛り上げた要因の一つです。
子どもたちの歓声が響く東京都立林試の森公園
明治33年に当時の農商務省が研究用の目黒試験苗圃としてスタートしたのが始まり。現在では東京都が運営する公園として生まれ変わっている。12haの広大な敷地内には、幹回り3mを超える巨木をはじめ、多様な樹木が生育しており、国内外の珍しい木々や野草の観察もできる貴重なスポット。野鳥のさえずりが聞こえる敷地内には、冒険広場など大人と子どもが一緒に楽しめる施設もそろう。木々の声に耳を傾けると、かつてこの地で暮らした人々の思いが伝わってきそうです。夏には水遊びする子供たちで賑わうジャブジャブ池や、ゆったりと読書なども楽しめるベンチがある広場など自然豊かな緑地環境として愛されています。